2006年08月29日

越後獅子

「獅子舞い」なら今でもこちらの秋祭りで見かけることもあるのですが、「越後獅子」となると…。

越後獅子」は長唄や三味線ではもっともポピュラーな曲で、ゆかた会や発表会、踊りの会などではよく演奏されたり演じられたりします。
ああ、あの前に太鼓をつけた角兵衛獅子、なんてすっとわかる方は、妙齢のご婦人?
美空ひばりの『越後獅子の唄』はヒットしたそうですが。

「越後獅子」は新潟県の西蒲原郡月潟地方から出た獅子舞だそうです。
子どもが小さい獅子頭をかぶり、身をそらせ、逆立ちで歩くなどの芸をしながら、銭を乞い歩きました。
蒲原獅子、角兵衛獅子ともいわれ、江戸時代には貧しい家の子やみなし子などが買われて、親方に虐待されながら芸をしたという例も多かったようです。
歴史は200年にも及ぶといわれ、諸説がありますが二つほどご紹介。

仇討ち説
月潟村に移り住んだ角兵衛というものがおり、角内と角助という二人の息子がありました。ある晩のこと、何者かが角兵衛の家に押し入り、角兵衛を殺してしまいました。横で寝ていた、角内と角助は目を覚ましましたが、ことに気づいて、息を殺して見ていました。犯人は顔はわかりませんでしたが、足の指がないことだけは見ることが出来ました。残された二人の息子は、大衆の前で逆立ちをして、犯人を探すことを思いつき、「あんよ(足)の指の無いもの、気をつけて見れ」と言い合いながら、逆立ちの芸を見せ、諸国を巡り、歩いたということです。(起源だけで、事の結末、つまりは仇討ちが出来たか、出来なかったかは、わからないようです。)

水害飢饉、口減らし説
月潟村は中之口川の沿っており、古くは、毎年のように川の氾濫があり、村人は苦しんでいました。これを、憂いた角兵衛が獅子舞を考案し、農業をしながら、村の子供たちに教え込み、口減らしのため、子供たちを連れて、諸国を巡り、歩いたということです。

CIMG9850.JPG

と、ずいぶん長くなりました。
八月最後の日曜日、三味線のゆかた会で笛を吹きました。
演じた曲が「越後獅子」というだけのことなのですが。


posted by うらら at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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